<所在地>本田1-4-16(西屋内プール北東)
<撮影日>2012.10.9
今は千代崎から尻無川となtぅているが、以前は跡碑がある付近から木津川が分流して尻無川となり、中洲が形成され寺島とよばれた。明治初期には、この中州に松島遊郭ができた。昭和25年以降に府の防潮工事に伴い、跡碑から千代崎まで埋め立てられた。
<所在地>九条2-6-2(九条東小学校南東角)
<撮影日>2012.6.18
この地は海抜が低く、大雨が降ると家屋が浸水することが多くあった。昭和9年(1934年)室戸台風が襲来し、強風と高潮で木造校舎の多くが倒壊と浸水し、先生あ生徒が多数犠牲になったことを記録した。
*金漢重(キムハンジュン)の墓
明治元年(1764年)に11回目の通信使として来日したが、病気になり22歳で当寺で亡くなった。
*竹本磯太夫の墓
明治維新後、松島には人形浄瑠璃や芝居小屋ができ、竹本磯太夫は松島文楽座で活躍した。
*焼け地蔵
大阪大空襲で地蔵堂が焼け、中の地蔵も黒焦げになり、右手首もとれてしまった。
<所在地>千代崎3(大阪ドーム正面道路入口南側)
<撮影日>2012.4.23
明治30年(1897年)に設立された大阪ガスは、事業資金の調達のため外資を導入して、明治38年(1905年)岩崎町工場で製造したガスを市内3200戸余に供給開始した。当時のガスの用途はガス灯での使用が主で、市内各所にガス灯が設置されていた。
<所在地>千代崎2-8
<撮影日>2009.10.10
明治36年(1903年)大阪港へのアクセスのため、九条新道の花園橋から築港までの約5kmを結ぶ、日本初の公営による電気鉄道が開通した。以後も路線を拡張し、最盛期には118kmにもなったが、自動車の通行量増大につき、昭和44年に廃止された。