(所在地)太融寺町3-7
(撮影日)2010.8.20
弘仁12年(821年)に空海(弘法大師)が嵯峨天皇の勅願によって創建し、天皇の念持仏であった、千手観世音菩薩を本尊とし、左大臣源融公が七堂伽藍を建立した。元和元年(1615年)大阪夏の陣で焼失したが、元禄年間に再建された。その後、昭和20年6月の大阪大空襲で再度全焼したが、戦後再建され、現在に至る。
※本堂
※西門
※白龍大神
※宝塔
※一願堂お滝
※大師堂
※淀殿の墓
淀殿の遺骨は、大阪鴫野の淀姫神社にあったが、明治10年に当寺に移された。
※弔碑
藤見東陽作の碑文
※淀殿の碑
淀殿の経歴を記した石碑
※芭蕉句碑
しら菊の 目に立て見る 塵もなし
元禄7年(1694年)に斯波園女の句会に招かれ、園女を評して詠んだ句である。
※源融公之遺跡
※国会期成同盟発祥地
明治11年(1878年)に民権運動活動が大阪で始まり、以後、政党の大会が当寺で行われた。
※第51代横綱玉の海正洋之碑
昭和19年(1944年)、大阪市で生まれたが、空襲のため愛知県に転居。15歳で角界入りして26歳で横綱になり、27歳で虫垂炎がもとで急死した。
※広田富三郎殉職碑
明治27年(1894年)、大阪郵便電報局の広田富三郎氏は暴風雨の中、大江橋で人力車と接触し、電報を握ったまま亡くなった。当時18歳で、その死を悼み建てられた顕彰碑である。
※マニ車
※雲耒詩墳
漢詩人の石橋雲来が明治29年(1896年)に自分の漢詩をこの碑の下に埋めた。
※放生塚
放生とは、捕えた魚や鳥を放してやることで、仏教の善行である。
※銅鐘
延宝3年(1675年)鋳造の梵鐘
※太融寺(宝篋印塔)