(所在地)国分寺1-6-18
(撮影日)2009.10.28
孝徳天皇が大化元年(645年)に難波長柄豊碕宮の造営を始め、完成後、遷都したが、崩御後、斉明天皇が飛鳥板蓋宮へ遷都し、僧道昭に命じて、孝徳天皇の菩提を弔うため、この地に「長柄寺」を建立したのが寺の始まりとされる。天平13年(741年)、国分寺となり「長柄国分寺」あるいは「護国山国分寺」と称した。その後、大阪夏の陣(1615年)の戦火で焼失し、以後、荒廃していたが僧快圓により再建され、昭和20年の大阪大空襲で再び焼失したが、昭和59年に再建された。
※鐘楼
この鋼楼は天六ガス爆発事故犠牲者の慰霊堂になっている。
※河合霊啼句碑
泳ぎ出て 寂しくなりぬ 雲の峰
本名は澄男で、明治35年に広島県呉市に生まれ、幼少時に当地に移り住んだ。青木月斗の門下。昭和46年に亡くなり、翌年にこの句碑が建立された。