野里住吉神社 (乙女塚)
*一夜官女の祭り(府民族文化財)
野里村で災難を避けるために行われてきた人身御供の風習を300年以上前に止め、
その代わりに、神事として毎年2月20日に行われる。
「龍の家」は乙女を選んだ場所で、その跡が「乙女塚」になっている。
野里の渡し (野里住吉神社)
所在地: 野里1-15(野里住吉神社内)
撮影日: 2009-4-18
大和田住吉神社 (鳥居)
所在地: 大和田 5-20-20
正和9年(1320年)の勧請された神社と伝わる。
大和田住吉神社 (社殿)
新千船橋柱(大和田住吉神社)
大和川に架かっていた橋。元は初代の心斎橋で、次に境川橋となり、
昭和3年新千船橋となる。昭和46年に撤去され、今は鶴見緑地公園に緑地西橋としてある。
万葉歌碑 (大和田住吉神社)
浜清く 浦なつかしき 神代より
千船の泊る 大和田の浦
(万葉集 詠み人しらず)
判官松之跡 (大和田住吉神社)
義経が平家討伐のために船を出そうとした時、強風で出れなかったので、
住吉大明神に祈願して松の木を植えた。
判官松伝承地雨
所在地: 大野2(大野下水処理場正門前)
元暦2年(1185年)に平家討伐のため義経が船を出そうとしたが、突風のため
大和田の浦に着いたため住吉大明神に祈願して植えた松で、
判官松・義経腰掛松・手植えの松などと呼ばれている。
大和田街道碑
所在地: 姫島 4-14(姫島公園南側)
明治41年の西成大橋の完成にともない、できた街道で、難波橋北詰から大和田を経由して
大物(尼崎)迄で、その先の中国道。山陽道にも通じていた。
大正15年淀川大橋の完成で、国道2号線が出来ると街道はすたれてしまった。