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大道寺跡の碑 27114-66
加茂大明神社の境内にあった無本寺は、慶長12年(1607年)に三大院と改称。貞享3年(1686年)には、僧玄光が大道寺と改称した明治維新後、廃仏稀釈によって廃寺となった。
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(所在地)大桐5-1(緑道南入口)
(撮影日)2009.6.20
井路川に架かっていた橋と思われる。
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この辺りの淀川流域一帯は、牛を放牧するのに適した土地であったので、平安時代には典薬寮(薬をあつかっていた役所)の牛牧として、牛乳・蘇などを生産していた。
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(所在地)大桐5-4
(撮影日)2010.4.25
淀川の豊里大橋の近くにあった逆巻村(今は河川敷)の付近は、船の難所で「逆巻の難所」と言われ、多くの犠牲者が出ていたので、慰霊と船の安全のため、弘化3年(1846年)に建立された地蔵である。大正12年(1923年)に現在地に移転した。
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淀川逆巻遭難者の碑 27114-56
中島大水道顕彰碑 27114-51
(所在地)西淡路5-15
北中島地区は、江戸時代(延宝年間)田畑の排水路の不備の改善を求め、三庄屋が幕府に訴えたが、埒があかず、無許可のまま工事を着工し、延宝6年(1678年)に短期間で完成させた。この事で、幕府の怒りをかった三庄屋は、抗議の自害をした。
新太郎松樋の碑 27114-52
中島大水道碑 27114-53