« 大村益次郎寓居跡2 | メイン | 此花乃井6 »
<所在地>江戸堀2-6-33(江戸堀フコク生命ビル前)
<撮影日>2009.8.16
幕末期に医学・儒学・西洋兵学などに通じていた人物で、弘化3年(1846年)大坂に来て適塾に入塾し、一時は長崎で学ぶか、嘉永2年(1849年)帰阪後26歳で適塾の塾頭となる。塾頭の時、この地にあった倉敷屋作衛門の屋敷に寄宿していた。翌年に父親の懇願により、長州に戻り村医となる。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント