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*桜並木
<所在地>靭本町1-20(なにわ筋歩道上)
<撮影日>2012.6.29
寛永元年(1624年)商人によって開削された海部堀川に架かっていた6橋のうちの2橋である。永代橋は永代浜に通じる橋で、大正2年に市電敷設のため架け替えられた。門樋橋は開削当初は水門であった橋である。昭和26年に2橋とも海部堀川の埋め立てにより姿を消した。
<所在地>靭本町1-11(信濃橋交差点北西側)
<撮影日>2012.5.5
大正13年(1924年)大阪出身の小出檜重らの新進洋画家が中心となってこの地で開設し、多くの画家を輩出した。昭和6年には中之島移転し、中之島研究所と改称した。昭和19年に戦争激化のため閉鎖された。
<所在地>靭本町1(靭公園内)
<撮影日>2009.6.18
明治34年(1901年)土佐堀で生まれ、父親の転勤のため東京・三重と変わるが、再び大阪に戻り旧制北野中学時代は靭に住んでいた。東京帝大在学中の大正14年(1925年)に発表した「檸檬」一節が石碑に刻まれている。
<所在地>靭本町2-1(靭公園内)
元年8年(1622年)生魚以外の海産物の干物などを扱う市場として、淀屋などの商人が開いた。塩干物や農産物の肥料として干鰯(ほしか)を取引していた。昭和6年(1931年)大阪市中央卸売市場の開場により閉鎖された。
靭一帯は江戸時代には海産物を扱う市場があり、その商人達が、寛永元年(1624年)海部堀川を開削して、阿波堀川とつなぎ、川の屈折した所を永代浜と称して荷揚げ場とした。この石柱はもと大和田銀行の建物に使われていたものである。