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<所在地>江戸堀1-13-10(住友クラブ南側)
<撮影日>2012.6.15
明治11年(1878年)キリスト教の牧師であった沢山保羅(ぼうろ)が、25歳の時に、大阪府で最初の認可校として創設した女学校で、現在の梅花学園の前身である。碑は創立120年記念で建てられた。
<所在地>江戸堀1-10-31(金光教玉水記念館前)
<撮影日>2009.8.16
江戸堀で私塾「青山社」を開塾していた頼春水の子供として、安永9年(1780年)にこの地で生まれた。翌、天明元年(1781年)父親が広島藩の儒学者となったため、広島に転居した。
<所在地>江戸堀1-21-28(西船場小学校南門)
江戸堀川に架かっていた江戸橋の橋柱で、昭和30年(1955年)に川が埋め立てられ、橋柱2基が残存している。1基には橋名板があり、もう1基には「大正14年12月改築」とある。橋はこの場所から北東約300mの所にあった。
<所在地>江戸堀1-21-28(西船場小学校北門)
江戸時代の頃「日本外史」を執筆した頼陽をはじめ、篠崎三島、篠崎小竹など多くの文人、学者が江戸堀周辺で生まれ、居住していた。昭和18年に西船場小学校と改称された東江小学校が昭和10年(1935年)創立50周年を記念して建てられた顕彰碑で、藤沢章の撰文である。
<所在地>川口1-3(川口交差点南東側)
<撮影日>2012.6.18
船手会所は元和6年(1620年)に設けられた江戸幕府の役所で、大阪湾から木津川・淀川に出入りする船の管理と、湾内に停泊している船の管理を行う船番所は、川口の会所と、春日出と三軒家にあった。会所は元治元年(1864年)廃止され、神戸海軍操練所に業務移転した。
<所在地>北堀江4-2-27(ジオ北堀江前)
<撮影日>2012.10.24
この場所は土佐藩の蔵屋敷があったが、明治維新後は、岩崎彌太郎の邸宅があった。 昭和55年10月1日指定 クスノキ