(所在地)与力町1-2
(撮影日)2012.10.3
弘仁年間(810年~824年)の頃、弘法大師が高野山開創のため京都東寺と往来し、この地に「如意珠院」を建立したのが開基とされる。後に、室生寺の堅恵上人が大師の足跡を慕い入山し、今の寺名にした。山合の「菅原山」は菅原道真が大師の聖跡を慕い、度々訪れていたことから霊験があるとされ、天皇から「菅原山天満宮寺」の勅号を賜った。当時は大川に面した所にあったが、江戸時代に当地に移った。その後、昭和20年の大阪大空襲で土蔵だけ残し、焼失したが、昭和42年(1967年)に再建された。
※油掛大黒天
大黒天の由来は不詳で、戦後には境内にあったといわれる。堂は昭和59年に改装された。
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