(所在地)同心1-3-1(龍海寺)
(撮影日)2012.10.3
文化7年(1810年)、備中足守藩の下級藩士の三男として生まれ、父の転任で大坂に移り、文政9年(1826年)中天游の私塾「思々斎塾」で蘭学と医学を学んだ。天保2年に蘭学と医学を学ぶため江戸へ行く。天保7年には天游9年(1838年)に帰阪後、瓦町で医業を開業し、同時に「適々斎塾」(適塾)を開く。弘化2年(1845年)には門下生が増加したため移転した。門下生には大村益次郎、福沢諭吉、橋本佐内らがいた。嘉永2年(1849年)、道修町に「除痘館」を開き天然痘予防接種を始める。文久2年に幕府の奥医師兼西洋医学所頭取となるが、10ヶ月後に江戸で病死。享年54歳。
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