(所在地)曽根崎2-5-4
(撮影日)2015.3.8
創建は不詳であるが、社伝では大阪湾内の小島にあった社で、「住吉須竿地曽根ノ神」をお祀りしていたと伝わり、古代王権の祭詞から奈良時代頃には存在していたと思われている。社名は道真が左遷される時に、この地で詠んだ歌から露天神社となった。社殿は大阪夏の陣で焼失し、元和8年(1622年)に再建されたが、昭和20年に空襲で焼失、現在の社殿は昭和32年に造営された。
※社殿
明治42年の「北の大火」によって焼失した四社の稲荷社を翌年合祀した。
※水天宮・宝刀比羅宮
江戸時代に中之島の久留米藩蔵屋敷に祀られていた水天宮は、明治維新により、丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮と合祀されその後、高松藩に還された後、堂島に還されたが、北の大火で被災し、当社の境内社になった。
※難波神明社(夕日の神明社)
弘仁12年(821年)に嵯峨天皇の皇子源融公がお祀りしたと伝わる。又、社殿が西向きに建っていたので「夕日の神明社」とも呼ばれた。
※曽根崎心中ゆかりの碑
元禄16年(1703年)、神社の森で遊女お初と手代徳兵衛が心中した事を近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」として書き、上演して大評判となった。碑は昭和47年に建立された。
※ブロンズ像
※御井社・祓戸社
梅雨の時期になると境内の井戸から清水が湧き出していたので、浪速七名井の一つとされ「神泉露の井戸」と称される。又、社名の始まりともされている。
※都橋之遺跡碑
どこにあった遺跡か不明で、ただ、島根県に同名の遺跡がある。