« 2013年9 月 | メイン | 2019年5 月 »
遥拝所はこの場所から遠く離れている神仏を参拝するために設けられた所で、多くの神社では伊勢神宮への遥拝のために設けられている。天満宮の遥拝所は南西方向(逆は北東)で、伊勢神宮への遥拝のためではなく、方角的に北東側は太宰府天満宮方向で、南西側は北野天満宮方向になっている。
道真が愛していた梅の樹の霊(御愛樹之霊)を祀る社である。社名の紅梅殿とは、京にあった道真の邸宅のことで、近くに白梅殿という邸宅もあった。有名な歌である「東風吹かば」を詠んだのは紅梅殿とされている。能の演目である「老松」は、老松と紅梅殿(紅梅の木)の精が現れて舞を舞うという話で、道真公の逸話が題材となっている。
御祭神の渡曾(わたらい)春彦とは「白太夫」のことで、道真の誕生の時に父親が安産祈願を頼んだ伊勢神宮の神官とされる人物である。昌泰4年(901年)、道真が左遷先の太宰府に向かう時も同行したとされる。
御祭神は大巳貴(おおなむち)大神は、大国主の数多い別名の一つで、多くの妻(女神)をもち、多くの子供をうけた。国造りの神として知られているが、縁結びの神としても信仰されている。この社は元は、渡辺橋北詰にあったが昭和22年(1947年)、社殿を造営して当社に遷座した。
元は、天満宮表参道の老松町(旧北区老松町3丁目)にあったが、平成2年(1990年)に天満宮境内に遷座した。神社の由来は古く、神功皇后が筑紫の帰路の際、暴風雨に遭遇し、老松町にあった巨松のおかげで難をさけることができたことに感謝し、貞観2年(860年)に神社を建立したのが始まりとされる。祭神は住吉大神と神功皇后である。祠の下に道標がある。
※道標
御祭神の大山昨神(おおやまくいのかみ)は山の神で、農耕も司る神でもある。この神を主神とする神社は日吉大社と松尾大社が有名でもあるが、天満宮の松尾社は名前の通り松尾大社から勧請されたと思われる。
御祭神は第15代応神天皇で、八幡神として神霊化され、皇祖神ともされている。中世の武家社会で武神として崇敬されるようになり、全国に八幡信仰が広まり、現在でも多数の神社がある。
吉備社内にあり、毎年2月8日には裁縫上達や針に感謝の意を込めて針供養が社前で行われ、こんにゃくに折れた針や古くなった針を突き刺し供養する。この行事は吉備真備が唐から様々な文物や書物の他に刺繍裁縫の技術を持ち帰ったとされる故事による。2月8日は古くは事始めの日で、針仕事は休む日とされた。碑は大正15年(1926年)、和服と刺繍の関係者が建立した。
御祭神の吉備真備(きびのまきび)は奈良時代の学者で、政治家でもあった人で右大臣までも務めた。霊亀2年(716年)、遣唐留学生として唐に渡り、天平7年(735年)に帰朝した。その後、朝廷での活躍を疎まれ左遷されるが、天平勝宝3年(751年)、遣唐副使として再度、唐に渡り2年後、帰朝した。帰朝後の朝廷での活躍が評価され、称徳天皇に時代に右大臣となる。真備の死後、怨霊として神社で祀られ、当社の十二社でも祀られている。
この社は、元は北区天神西町にあったが、天満宮へ移転奉祀した。御祭神の素盞雄命(スサノオミコト)は、記紀の神話の中では三貴神の一人で、天照大御神の弟にあたるが、不祥事を起こし、高天の原から追放された後、出雲で八岐大蛇(ヤマタノヲロチ)を退治したと伝わる神様で、厄除けに御利益がある。