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※宝暦年間(1751年~1764年)に長崎の商人であった播磨屋清兵衛がガラス製造方法を長崎で学び、大阪で始めたとされる。明治期にはガラス産業が盛んとなり、与力町界隈に多くのガラス工場ができたが、時流にかてず衰退してゆき、界隈のガラス工場が一部を残してなくなった。この碑はガラス組合が昭和54年に建立した。
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