<所在地>江戸堀1-21-28(西船場小学校北門)
<撮影日>2009.8.16
江戸時代の頃「日本外史」を執筆した頼陽をはじめ、篠崎三島、篠崎小竹など多くの文人、学者が江戸堀周辺で生まれ、居住していた。昭和18年に西船場小学校と改称された東江小学校が昭和10年(1935年)創立50周年を記念して建てられた顕彰碑で、藤沢章の撰文である。
<所在地>川口1-3(川口交差点南東側)
<撮影日>2012.6.18
船手会所は元和6年(1620年)に設けられた江戸幕府の役所で、大阪湾から木津川・淀川に出入りする船の管理と、湾内に停泊している船の管理を行う船番所は、川口の会所と、春日出と三軒家にあった。会所は元治元年(1864年)廃止され、神戸海軍操練所に業務移転した。
<所在地>北堀江4-2-27(ジオ北堀江前)
<撮影日>2012.10.24
この場所は土佐藩の蔵屋敷があったが、明治維新後は、岩崎彌太郎の邸宅があった。 昭和55年10月1日指定 クスノキ
<所在地>北堀江4-3-2(中央図書館南東角)
<撮影日>2009.6.9
天文元年(1736年)北堀江の商家の長子として生まれ、通称は坪井屋吉衛門といった。「兼葭堂」の名は、自宅の井戸の側から芦(葦)が出てきた事に因んで号とし、他に「巽斎」とも号した。幼少期から向学心が旺盛で、家業を営みながら一流の大家から、書画・漢詩・本草学・蘭学等を学び、近世大阪で著名な町人学者となり、自宅は書家・文人などのサロンとなっていた。
<所在地>北堀江4-9-7
<撮影日>2012.10.9
江戸時代に長堀川沿いのこの地にあった土佐藩蔵屋敷には稲荷神社があったが、享保2年(1717年)六代藩主山内豊隆が社殿を造営し、以後、参勤交代の時には山内家は必ず参拝していた。明治維新後、岩崎彌太郎がこの地を取得し、「三菱商会」を設立して三菱財閥となったので、三菱創業の地の守護神となっている。
*神社参道
*石宮神社