鎮守井高野明神蕉跡の碑 27114-70
大隈神社に合祀される前にあった神社名と思われる。
正面鳥居 27114-60
(所在地)大桐5-14-81
(撮影日)2010.4.25
今から約1700年前(3世紀末)頃、大隈島に大隈宮を建てた応神天皇が崩御された後に、宮跡祠を建立したのが始まりとされる。この地区の産土神として祀られていたが、淀川が氾濫した時に、賀茂明神の御神体が漂着したので合祀し、社名を賀茂神祠とした。明治4年(1871年)現在の社名となる。
拝殿 27114-61
拝殿前鳥居 27114-62
天満宮 27114-63
2 27114-64
境内社 27114-65
大道寺跡の碑 27114-66
加茂大明神社の境内にあった無本寺は、慶長12年(1607年)に三大院と改称。貞享3年(1686年)には、僧玄光が大道寺と改称した明治維新後、廃仏稀釈によって廃寺となった。
27114-59
(所在地)大桐5-1(緑道南入口)
(撮影日)2009.6.20
井路川に架かっていた橋と思われる。
27114-57
この辺りの淀川流域一帯は、牛を放牧するのに適した土地であったので、平安時代には典薬寮(薬をあつかっていた役所)の牛牧として、牛乳・蘇などを生産していた。