寝牛 27114-81
菅公ゆかりの地 牛まわしの碑 27114-82
道真公がこの地に立ち寄った時に、淀川の川岸を「牛まわし」と名付けた。
○「牛まわし」とは、田植えの始まる時期に牛を一定の所を回らすと、その年には牛が病気にならないという習俗。
平田の渡し跡の碑 27114-74
東淀川区では地名の平田を名称としてるが、旭区では個人名の平田を名称としている。
(所在地)豊里3(豊里大橋西側)
(撮影日)2009.6.20
延宝4年(1676年)頃に奉公所から許可を受け、渡船業の沢田佐平太が、豊里村平田と古市村今市を結ぶ渡船を行った。明治40年からは府営となり、明治23年には市営。昭和43年に廃止となった。
平田の渡し跡 27114--75
対岸の旭区にある。
2 27114-72
鎮守井高野明神蕉跡の碑 27114-70
大隈神社に合祀される前にあった神社名と思われる。
大道寺跡の碑 27114-66
加茂大明神社の境内にあった無本寺は、慶長12年(1607年)に三大院と改称。貞享3年(1686年)には、僧玄光が大道寺と改称した明治維新後、廃仏稀釈によって廃寺となった。
27114-59
(所在地)大桐5-1(緑道南入口)
井路川に架かっていた橋と思われる。
27114-57
この辺りの淀川流域一帯は、牛を放牧するのに適した土地であったので、平安時代には典薬寮(薬をあつかっていた役所)の牛牧として、牛乳・蘇などを生産していた。
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