27121-79
長崎型原爆模型
長さ3.2m・直径1.52 重量4.5トン
27121-74
(所在地)北田辺6-11(友愛センター北田辺前)
(撮影前)2011.7.23
明治初期頃の庶民の娯楽は淨瑠璃で、北田辺村でも文楽役者の指導によって、淨瑠璃芝居が盛んになり、「山坂連中」という一座ができ、近郷からも公演を依頼されるほどの人気であった。この碑は一座の俳優達が明治43年に建立した。
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27121-73
文学碑
自伝的な小説「破れた繭」の一部を記している。
(所在地)北田辺4-17(近鉄北田辺駅西側)
(撮影日)2011.7.23
7歳の時に、東平野町(天王寺区)から北田辺町に転居し、少年・青年時代を過ごした。27歳の時に、作家として注目され、翌年(1958年)に「裸の王様」で芥川賞を受賞し、本格的に作家活動始めるため東京へ転居した。
27121-72
(所在地)北田辺1-8
(撮影日)201.10.17
桑津墓地の南西角にあり、昭和3年から始まった、天王寺地区の区画整理事業は30年間あっけて行われた。この記念碑は昭和6年に建立された。
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巳御霊塚
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桑津墓地石標
行基菩薩の開基と伝わる墓地で、北田辺村と桑津村の斎場であった。
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(所在地)桑津3-22-10
(撮影日)2011.10.17
桑津の環濠集落は、自衛のために周囲を水濠で囲み、集落内は様々な工夫をして、外部の侵入を防いできたおかげで、中世から昭和初期まで400年間残っていた。この地蔵は集落の4ヶ所の出入り口の一つで、桑津北口にある地蔵である。
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(所在地)桑津4-12(駒川五輪橋北側)
大坂夏の陣の激戦地であった桑津で、豊臣方の柴田権十郎と、徳川方の蜂須賀九郎右衛門が戦い、結果、柴田権十郎が勝ったが、自身も重傷を負って自刀しました。この地の村人が二人の供養のため、二基の五輪塔を建てたが、蜂須賀九郎右衛門の五輪塔は行方しれずになっている。
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