<所在地>立売堀2-5-26
<撮影日>2012.6.25
日本の万年筆業界の創始者である田中富三郎が、故郷(津山市加茂町)の神社の古い祠を再興し、サムハラ神を祀ったのが始まりで、その後、昭和25年大阪中之島に神社を建立したが、昭和36年に現在地に移転した。
<所在地>土佐堀3-3-17
<撮影日>2011.11.14
ビルに挟まれてある稲荷社で、詳しい事は不明であるが、この地が元蔵屋敷跡であるところから、江戸堀の荒光稲荷社と同様に屋敷神であったとも思われる。
<所在地>土佐堀1-5-10
<撮影日>2012.6.18
明治4年(1871年)廃藩置県で廃止された蔵屋敷を長州藩主毛利敬親が高野耶麻金剛峯寺に寄進したので、高野山は準別格本山「三蔵院」を明治13年にこの地に移転して高野寺と改称し、毛利家歴代藩主を祀った。以後、高野寺三蔵院は長州大師とも呼ばれるようになった。
<所在地>靭本町2-1(靭公園内)
<撮影日>2009.6.18
樹齢300年余年の楠を御神木としてお祀りしている、神社で、鎮座する前は御霊神社の元宮があったが、文禄3年(1594年)津和野藩主の寄進により、御霊神社は淡路町に還座した。
*御神木
樹齢300余年の楠で、戦前には天然記念物に指定されていたが、戦災で取り消された。
<所在地>江戸堀1-16(肥後橋商店街中程)
土佐堀川と江戸堀川の間にあたるこの地は、江戸時代には三田藩蔵屋敷があり、この稲荷神社は明治4年(1871年)に蔵屋敷が廃止まで、屋敷神であったと思われている。
楠永神社
土佐稲荷神社
西区北堀江 4-9