<所在地>南堀江2-8(南堀江公園)
<撮影日>2012.4.23
勧進相撲興行は江戸幕府に禁止されていたが、元禄年間に興行が認められ、大阪では、元禄5年(1692年)この地で最初に興行を行ったとされるが、他の文献では元禄15年(1702年)に堀江橋通での興行が始まりとされている。
<所在地>南堀江1-26-15
<撮影日>2012.10.11
明治22年(1889年)大阪電燈(株)(現・関西電力)は、この地に日本で初めて交流発電方式の発電所を完成させた。大正2年、宇治川電気(株)は発電所の隣のレンガ造りの道頓堀変電所を建設した。大正4年に発電所は廃止。昭和23年には発電所も廃止。
<所在地>南堀江1-13(堀江公園)
元禄11年(1698年)西横堀川と木津川をつなぐ掘江川が河村瑞賢によって開削され、堀江新地ができた。 新地での幕府の優遇策により、色々な文化などが起こり、学者や文化人を生み出した。昭和35年(1960年)に市街地開発のため埋め立てられた。
<所在地>白髪橋交差点東側緑地
<撮影日>2009.6.9
元和年間(1622年頃)に土佐藩の懇願により、立売堀川で木材市が始まり、その後、西横堀川の白髪町に土佐藩が蔵屋敷を構えると、この地でも市が許可され、諸国の材木が集まるようになり、川の両側に木材商が店を構え、昭和にいたるまで材木市が開かれていた。
<所在地>問屋橋交差点西側
<撮影日>2012.5.5
長堀川が開削された寛永2年(1625年)から明暦元年(1655年)の間に架けられた橋で、橋の周辺のは多くの木材問屋があり、これらの問屋が協力して架橋したので、問屋橋という名になった。
<所在地>西大橋交差点南東側緑地
<撮影日>2012.9.5
西長堀川の完成と共に架かっていた橋で、宇和島藩の蔵屋敷が橋お南側にあったので、橋名となった。橋の北側は新町廓の長堀口番所に通じていた。昭和45年に川の埋め立てと共に撤去されたが、親柱と間柱の各2基は昭和52年に宇和島市に寄贈。
<所在地>西大橋交差点西側
西長堀川の宇和島橋と富田屋橋の中間に架かっていた橋で、現在は「なにわ筋」と「長堀通」の交差点になっている。