(所在地)中之島5・6~西区土佐堀2・3
(撮影日)2013.3.19
大正10年(1921年)、市電の敷設のために土佐堀川に架けられた橋である。昭和43年(1968年)に市電が廃止され、翌年には改築されて、現在に至っている。
(所在地)中之島5・6~福島区玉川1・福島3
(撮影日)2016.4.30
あみだ池筋の堂島川に架かっている橋で、南側の土佐堀川には土佐堀橋は架かっている。明治16年(1883年)に木橋として架けられたが、明治18年の大洪水で流失した。明治42年(1909年)、木橋が架けられた。昭和2年(1927年)、市電の敷設のため耐久性の高い橋に架け替えられ、現在に至っている。
(所在地)中之島6~西区土佐堀3
元禄期以前にあったとされる橋で、新なにわ筋の中之島をはさんで北側には上船津橋があり、南側の土佐堀川には湊橋がかかっている。昭和15年(1940年)に架け替えられ、上船津橋と結ばれた。昭和57年に上船津橋と同様に架け替えられた。
(所在地)中之島6~福島区玉川1・3
新なにわ筋の堂島川に架かる橋で、昭和11年(1936年)に架けられた。昭和56年(1981年)、阪神高速神戸線の建設に伴い、架け替えられ、翌年に完成した。橋の上部は高速道路の高架となっている。
(所在地)中之島6~西区川口1
中之島の西端と川口をつなぐ橋で、4つの河川(堂島川・土佐堀川・木津川・安治川)が合流する場所である。橋名の由来は、江戸時代に中之島西端のこの地まで蔵屋敷が建っていたからとされる。橋は明治初年に架けられ、明治42年(1909年)に市電敷設のため架け替えられた。大正10年に改修、昭和38年にも改修され、現在の橋となっている。
(所在地)中津6-2-18
(撮影日)2016.5.17
昭和43年(1986年)、不動産業を営んでいた北村芳郎氏が収集した南蛮美術品やキリスタン遺物などを展示するために設立した施設の博物館である。展示品は国重要文化財の「南蛮屏風」をはめ、細川ガラシャの十字架などがある。公開は5月中と11月中の年2回である。
(所在地)天神橋6-4-20
(撮影日)2016.4.24
「住まいと暮らし」の情報拠点として、平成11年(1999年)に開設された。地上10階、地下1階の建物で、8階から10階は「大阪くらしの今昔館」というミュージアムになっており、江戸時代の大坂の町並みや近代からの大阪の町の移り変わりを紹介している。
(所在地)中之島5-3-51
(撮影日)2016.4.22
平成12年(2000年)のG8サミットの誘致のために大阪府が建てた会議場で、地上13階、地下3階の建物となっており、設計は黒川紀章である。内部には会議室・イベントホールなどがある。建物工場の着工は平成8年(1986年)、平成11年に竣工し、翌年に開館した。
(所在地)中之島4-2-55
(撮影日)2009.8.24
アメリカの建築家シーザー・ペリが設計した建物で、施設の主な部分な地下にあり、地下1階はエントランスなどで、地下2・3階が展示室などになっている。この美術館は、吹田市の万博公園内にあった「万博博美術館」が老朽化などのために、平成16年(2004年)、この地に移転した。収蔵品は主に、終戦以降の現代美術である。
(所在地)中之島4-2-1
平成元年(1989年)、大阪市制100周年の記念事業として、関西電力が科学館を建て、大阪市に寄贈した。建物は地上4階、地下1階で、地上階は電気関する展示や体験などのコーナーとなっており、地下部はプラネタリウムを鑑賞する部屋になっている。以前の科学館は四ッ橋にあり、昭和12年(1937年)に日本初の科学館として誕生したが、老朽化のために平成元年に閉館した。