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(所在地)天満1-25(造幣局正門前国道1号線沿い)
(撮影日)2009.9.10
天保8年(1837年)、大塩の乱の始まりは洗心洞からの大砲の砲撃からで、一発目は向かいの与力朝岡助之丞の役宅に向け撃たれ、裏庭の樹齢二百年の槐の木に当たり、裂けてしまった。その後も木は生き続けたが、昭和59年(1984年)、車の排ガスの影響により枯死してしまい伐採された。平成13年(2001年)に碑の横に槐の木が植えられた。
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