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(所在地)天満1-25(造幣局官舎内)
(撮影日)2013.3.30
江戸後期、大阪東町奉行組与力で陽明学者であった大塩平八郎が自宅で開いていた私塾で、文政8年(1825年)、大塩32歳の時には、主に奉行所役人や豪農など塾生や門弟が約60~70名いたとされる。天保8年(1837年)、天保の大飢餓で疲弊した民衆を救済するため、門弟達と蜂起し、洗心洞の建物に火を放ち、豪商の蔵から米などを強奪して民衆に分け与えた。
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