(所在地)菅原町1(堂島川沿いの河川公園)
(撮影日)2014.9.15
天満堀川と大川の合流点近くに架かっていた橋で、天保9年(1838年)に新たに開削される以前から橋があり、古い記録では「新橋」と記され、後に、「門樋橋」となり、「太平橋」と称された。堀川は昭和47年に埋め立てられたが、この橋は昭和60年まで残っていた。又、心中天網島の「堀川の橋」ともいわれる。
※公園にある4つの橋柱
※古い時代の橋柱
河川公園に残る橋柱よりも明らかに古い石製の橋柱で、いつのものかは不明である。公園の東隣の建物にある。
コメント