(所在地)与力町2-5(善導寺)
(撮影日)2009.12.24
寛延元年(1748年)、播磨国の農家で商人でもあった家で生まれ、13歳の時に大阪今橋の両替商河内屋に奉公するが、仕事熱心ではなく暇を出されたが、両替商升屋で雇われて商才を発揮、大名貸しで傾きかけていた升屋を再興した。特に、仙台藩や豊後岡藩の財政再建した功労により、山片芳秀の名を頂き、雅号は番頭であったので「播桃」と称した。番頭をしつつ、懐徳堂の中中井竹山・履軒から儒学を学び、千事館で麻田剛立から天文暦学を学んだ。晩年、学問の集大成として「夢の代」を執筆し、19年後の文政4年(1821年)完成後、同年74歳で没した。
コメント