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(所在地)与力町2-1(天徳寺)
(撮影日)2012.10.3
篠崎三島は元文元年(1736年)に大阪で生まれ、父は伊予出身の紙屋であった。後に、家業を引き継いだが、町人学者として学問の道を目指し家業を安永5年(1776年)に廃業して、土佐堀に私塾「梅花社」を開いた。小竹は天明元年(1781年)、京町堀の医師の子として生まれ、9歳で三島に学び、13歳で養子となった。江戸で朱子学を学び、帰阪後、梅花社を引き継ぎ繁栄させ「懐徳堂」と並び称された。儒学者頼山陽とも親交があった。
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