(所在地)長柄中2-4-25(北霊園管理事務所南側)
(撮影日)2013.3.13
大阪で社会事業などをおこなった侠客で、文政13年(1830年)に堂島の質屋明石屋の長男として生まれ、幼名は万吉といった。9歳の時に父親が失踪し家族の生活のために賭場荒らしを始め、15歳で親分となり、堂島の米相場に関わるようになる。文久3年(1863年)、播州小野藩一柳家から大阪の警護を要請され、受託して名を「小林佐兵衛」と改めた。明治期になり、府知事の要請で消防隊を組織したり、火事で生活困窮者になった人を助ける「お祓い所」を運営した。又、児童支援施設の感化院に協力し、自らも弱者救済のため「小林授産所」を創設した。大正6年(1917年)に89歳で亡くなった。
コメント