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(所在地)長柄中2-5地先
(撮影日)2010.5.8
鶯塚の由来には諸説があり、645年に大化の改新が断行され、孝徳天皇が都を飛鳥から難波長柄豊碕宮に遷都したのがこの地で、後に、天皇家に深い人の墓が築かれ鶯凌と称されていたが、陵は無くなり塚が残り鶯塚となったという説と、奈良時代末頃に長柄長者の美しい娘が鶯を可愛がっていたが、娘は病で亡くなり、鶯もすぐに死んだので、長者が不憫に思い一緒に埋葬したので鶯塚と称するようになったという説もある。
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