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※貫名海屋は江戸時代後期の文人画家で、書にもすぐれ、幕末の三筆と呼ばれた。徳島藩士の次男として生まれた海屋は儒学を学び、高野山で勉学に励んだ。高野山から下山後、懐徳塾に入塾し、その後、塾頭になった。晩年は書家としての名声が上がり、この灯篭の文字も海屋晩年の筆で、数え歳87歳のものである。
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