(所在地)末広町1-7(成正寺)
(撮影日)2012.10.3
江戸時代後期の陽明学者で、大坂町奉行所与力でもあった大塩は自邸に私塾「洗心洞」を開き、多くの門人を教えていた。天保の大飢饉に際し、民衆の救済を奉行所に申し立てていたが無視され、又、役人や豪商の在り方にも憤り、天保8年(1837年)、門人らと乱を起こしたが、半日で鎮圧された。養子の格之助と共に40日余り逃亡した後、大坂に戻り商家に潜伏していたが、通報され包囲されたので観念して自決した。享年44歳。死後、大塩の墓を建てることは禁じられたが、明治30年(1897年)に田能村直入が平八郎の墓を建てた。大正5年(1916年)には格之助の墓も建てられたが、戦災で破損したため昭和32年に新しく父子の墓が建てられた。
※大塩の乱に殉じた人々の碑
大塩の乱に関わった「洗心洞」の門人など多数の人が過酷な取り調べで亡くなっており、その人達の慰霊のために、大塩の乱150年にあたる昭和62年(1987年)に建てられた。
※成正寺
日蓮宗の寺で、慶長9年(1604年)の創建。